“日常(ホーム)"と“特別(アウェー)"。
一方が“ホーム"なら、もう一方は必ず“アウェー"。
両方あるのは新鮮で贅沢なことだって思ってたけど、最近は変わってきた。
意識して“アウェー"に乗り込む機会は多くても、やっぱり俺は“ヨソ者"。
遠いんだよなぁ。
何か、話せば話すほど、己の薄っぺらい生活や経験が面を出す。
(実際はむしろ濃かったような気はする)
俺もヤキモキさせたり、置き去り感を感じさせたりしてぇなぁ。
いやいや、そんな駆け引きは面倒くさいからしないけど。
自分にとっては“日常"だと思ってることが、相手にとっては“特別"なんだということは常に感じていたい。