ウチの母親はアイータが手術室に運ばれてから、ずっと親父の写真を持って手を合わせていた。
そして、『もしものことがあったら、もう墓参りに行ってやらないぞ』と。
親父は常に責任を負わされてる感じだ。
母親に言わせりゃ、俺とアイータを引き合わせたのも親父だし、甥っ子は親父の生まれ変わり。
何年か前にウチの犬が2日間“家出"をした時なんて、天からの監督責任を追及されてた。
たまったもんじゃない。
今回、我が子が生まれた病院は8年前に親父が死んだ病院。
院内を歩いていると、『あの時、親父はあそこに座ってたっけなぁ…』なんてことを思う。
消えてく命があれば、生まれてくる命もあって。
時間の経過をしみじみと感じながら、保育器の中の我が子を見ているわけです。