『胃検診、凄ぇよ』って、みんな言わないのが凄ぇよ。
あんなの、自分の中だけで納めておきたくないよな。
なんてシルゾーに話してたら、『俺はやらなかった』とか。
『やらなかった』とはどういうことなのかと聞けば、『どうしてもバリウムが飲めなくて、「じゃあ、やめましょう」って言われた』と。
そんなの、有りなんですか?
“飲める"“飲めない"の前に“飲まなくてはならない"ものだとばっかり思ってた。
シルゾーという男に会うまでは。
だって、みんな“飲めない"のに飲んでるじゃん。
そこで“飲まない"という選択肢を考えもしないじゃん。
昭和時代の高校生のくせに、ゆとり教育の被害者みたいな感じ、大物ですなぁ。
俺がTVのプロデューサーなら、絶対に使わない。