野郎の母親が亡くなり、火葬と葬儀に行ってきた。
“順番”ではあるが、火葬直前のあの空間はつらくて見ていられない。
天に昇る煙を見ていると、その人の人生を考える。
確実に赤ちゃんであったり、少女であったりした時代があって。
その後、いろんな立場で生きてくことになるわけだけど、死ぬ時は“子供”になるんじゃないかという気がした。
俺は“親父の子”として逝き、親父はきっと“ジイさんの子”として逝ったんだろう。
俺が存在してるということは、俺の知らない何代か前の親子間にもこんな別れの瞬間があたりまえにあったわけだ。
俺は運命なのか何なのか、こうして小梅と親子として出会った。
やがて、小梅がジイさんになっても、俺たちのことを知らない子孫の時代になっても、俺と小梅は永遠に親子。
やはり、すべては縁なのだ。