今のガキは打たれ弱い。
俺たちの頃はぶっ飛ばされるなんて日常茶飯事だった。
と言うオッサンが日本をダメにしているのですね。
『そんなことを乗り超えちゃった自分、凄ぇ』みたいな感じなんでしょうね。
やがては老害と呼ばれる人たちです。
確かに俺たちの頃はよくぶっ飛ばされた。
だけど、それを愛情と感じたことは一度もない。
感じたのは虫の居所が悪いとか、憎しみを込められてるとかだけだ。
何故、教師たちはぶっ飛ばす方法を選ぶのか?→無能だから。
何故、今は体罰に対して厳しくなったのか?→かつて理不尽に殴られた当時の生徒が今は親になってるから。
数年前、銀座を歩いていたら、テレビの街頭インタビューに出くわしたことがある。
内容は『体罰は必要だと思いますか?』だ。
俺は体罰絶対反対派ではないので『時と場合によっては』と答えたけど、その“時と場合”を判断する能力が極めて低い教師にはわからないんだろ?
ならば、ONかOFFの二進法を採用するしかないわな。
ゲンコツひとつ落とせなくなったのは、自分たちが強圧教育をしてきたことの因果応報だ。
時代のせいじゃない。
もしも小梅が自分の時代と同じような理由で同じように殴られたら、『俺たちの頃はそんなのあたりまえだった』などとバカ満開のことは言わず、きっちり相応の制裁は受けてもらう。
それが社会というものだし、法治国家のあるべき姿だ。
どう考えたって、傷害・暴行・殺人未遂なのだから。