29年前に降り立った一関駅に行ってみる。
さすがに時間が経ちすぎて当時の記憶とシンクロしないが、あの時、おそらく路線バスで通ったであろう道を東へ。
太平洋側に出ると、どこも大きな工事現場という感じで、確かに壊滅的なダメージを受けたであろうことと、復興に向けて動いていることを実感する。
そのまま陸前高田へ。
道中、ちょっとした高台までも津波到達を記した標識があり、すでに想像の範疇を超える。
奇跡の一本松を見た。
まわりでは絶え間なく工事の音が響き、だけど、破壊された建物もそのまま残る。
もしも自分が…と考えると、生きる気力さえ失くしそうだが、工事関係の人たち、みんな頑張ってる。
この人たちに心の中で最大限の敬意を表して、そこから南下する。