“そこ”へ行ったら“それ”が聴きたくなっちゃうボクちゃんの車は常に数千曲が再生可能な状態になっており。
なので、仙台に行った時には“青葉城恋歌”を再生。
アイータはそんな俺を小馬鹿にしてる節があり、『再生しなくっていいってば』と言う。
まったく意味がわからない。
やっぱり、九十九里を走れば“Mi-Ke”だし、横浜へ行けば“ブルーライトヨコハマ”だろう。
昔から、首都高で羽田空港を通り過ぎる時には“BAY BRIDGE”を再生してたし、長崎は晴れてちゃダメなんだよ。
常に情景や経験と結びついて脳内再生される。
歌というのはそういうモノだろ?
夕暮れに“カラス”を聴いたことがないのか?
東の空が明るくなってきた頃に“昭和”を口ずさんだことがないのか?
そんなんだから、潮来に橋幸夫の歌碑と数曲の再生ボタンがあるのに、“潮来笠”じゃなくて、“メキシカンロック”を押すんだよ。
“科学万博音頭”なんて知らないと言われるし。
小梅も『おとうさんはどうして行った場所の歌をすぐに聴くの?』と言う。
以前、渡良瀬橋に行った時の記憶と仙台が重なったんだろう。
いいか、これは普通だぞ。
そして、“そうでない人”が“そうな人”に言っちゃダメなんだぞ。