去年、何故だか急に『使わないからあげるよ』とZippoをくれたんだ。
それから何となく使っていなかったんだけど、形見となったので今日は使っている。
何でくれたんだろうな。
それからほどなくして病気が判明して闘病生活が始まったんだけど。
終わりの時がくることは覚悟していたけど、やっぱり受け入れ難い。
俺が唯一“自身のことを話す人間”だったんだよ。
もう悪ふざけも出来なくなってしまったし、食らったことを“面白さ”に替えて伝え合うことも出来なくなった。
娘は小梅の1つ下と3つ下。
まだ三年生と一年生。
この子たちはそんなに小さいのに、どうしてこんな寂しい思いをしなきゃならないんだろう?
最後のLINEのやりとりは手術前の『必ず帰ってきます』だったんだ。